謝罪

私たちは相手に悪いことをしたなと思ったときには謝るという行為をしますね。これはごく自然なことなのですが、でもどうして謝るのでしょうか?謝る理由とは一体どんなことがあるのでしょうか。

そんなことは考えるまでもなく、人と人が関係をもって生活していくうえでの最低限度のルール、あるいはマナーだと言えば全くその通りです。ですから、そのことに100%異論はないのですが、なぜ謝りたくなるのかということについて考えてみたいのです。

謝罪する心とは、相手に何らかの不利益や苦痛などを与えてしまったと感じた場合に生じるわけです。自分の何気ない言葉が相手の心を傷つけてしまったと思ったら謝りたくなります。

謝るとは自分が何らかの加害者の立場にあると思われるような言動をしてしまったときに、そこに罪があるとして、謝罪、つまりその罪を謝ることで相手に許してもらいたいという意思表示であるのです。

もしも、その罪を自分自身で許すことができたとしたら、ルールやマナーを置いておくとして、本当は相手に謝罪する必要はなくなるのかもしれません。

人は自分で自分の罪を許すことが難しいので、被害者であると見える相手に許してもらおうと企てるのです。ごめんなさいと言って、いいよ、とか大丈夫だよと言われたら救われたような気持ちになるのはそのためです。

逆にごめんなさいと謝っても、相手に許してもらえてないと感じたときには、自分の罪をずっと持ち続けなければならなくなるために、苦しくなってしまうのです。それが罪悪感ですね。

立場を変えて、自分が相手から何らかの不利益や苦痛を与えられたと感じた場合には、相手からの謝罪の言葉がなければ通常怒りを感じるはずですね。

それは、相手には罪があるというのにそれを相手が認めてないと思うことから発する怒りなわけです。しかし、コースの教えにあるように、「自分を傷つけられるのは自分の思い以外にはない。」ということがはっきり分かるのであれば、相手の謝罪を求める気持ちにはならないはずです。

相手には罪がないということが分かるからです。だからその場合には怒りを感じることもなくなり平安な心の状態でいられることになります。

自分が謝罪しなければと感じる時にも、そのコースの教えを本当に理解していれば、自分には罪がないと分かるので、罪悪感を持つこともなくなり、礼儀として謝罪をするだけで、心は晴れやかになるのです。

「自分を傷つけられるのは自分の思い以外にはない。」ということが心の底から分かったら、この世界は激変しますね。なぜなら、自分の心から罪というものが消えてしまうのですから。

そして罪がなくなると、自分と人との間の距離がなくなって一つになっていくのです。それがコースでいう一体化です。それこそが、永遠の心の平安を意味するのです。