「コース」によれば、時間という概念の中で、過去は罪を、未来は恐れを表すと教えています。
確かに私たちが罪があるとするのは、起こしてしまった事柄に対してですから、それはすべて過去に属していると言えます。
そして、これから起こることは誰にとっても100%の確証を持つことはできませんので、そこには不安や恐れが宿ってしまうわけです。
しかし、よくよく考えてみると、過去の事とは言え罪を認めるのは現在ですし、未来を予測して恐れを感じるのも現在なのです。
過去何が起ころうと、それは現在ではありません。未来に対してどんなことを予想しようと、それも現在ではありませんね。過去も未来も一体どこにあるというのでしょうか。
本当は今しか実在しないというのに、なぜ過去や未来に我々は振り回されてしまうのでしょうか。それは、きっと心の問題なのだと思うのです。
英語に現在完了という文法上の表現がありますね。たしか、have + 過去分詞の形式だったと思います。これは、過去のある時点から現在まで継続している何かを表すときに使うものです。
例えば、3年前に会社に入って今もそこで働いているなどという場合には、きっとこの現在完了形を使うんでしょうね。
このような場合に、私たちの心の中では3年間継続してその会社で働き続けているということを表現しようとしているのですが、実は3年間働き続けているという現在があるだけなのです。
もしも、3年前に入社したという過去の出来事を表現するのであれば、それは単純な過去形を使うのですが、その場合でも、過去そういうことがあったという現在があるだけなのです。
過去も未来も時間という概念によってあたかも実在するもののように捉えてしまう習慣になっているだけで、本当は現在があるだけなんだということです。
このことがはっきり分かると、過去にも未来にも影響されずに今にいることができるようになるはずです。それは、罪からも恐怖からも開放された平安な心だけがあるのではないでしょうか。