時間

時間というのは不思議なもので、物質ではないのは明らかですが、かといって実在するかというと、そうとも言えなくなりますね。こういうのを概念というのかもしれません。

もしも、時間というものを概念だと言い切ってしまうと、どうなるでしょうか。概念というのは、私たちの心の中の抽象化されたイメージです。

りんごという概念、空という概念、人という概念など、そのどれも実在する個別のりんごや空や人とは全く違う、心の中に作った抽象的なものですね。

でも時間が概念だとすると、それに対応する個別の時間というものがあってもいいのですが、そんなものがないのは自明のことですね。

しかし、時間の隔たりということになると、私たちははっきりとした感覚を持つことができます。間延びした長い時間は退屈に感じるかもしれないし、楽しいことはあっという間に終わるという感覚を持っています。

過去と現在と未来を理解できない人は一般的にはいないでしょう。これも時間という概念がベースとなっていることは明らかですね。

「奇跡のコース」の教えによると、この世界のベースとなっている時間と空間は幻想だと言っています。真実の世界は時空のない永続的な全体でしかないということです。

そういわれても、私たちは常に時間の中でいろいろな制約を受けながら毎日生きているわけです。

時間という概念には、それは経過するものだという属性も含まれていますね。だから私たちは現在という時がずっと連続してあるというのではなく、現在はすぐに過去になり、少し先に待っている未来はそのうち現在になると考えているのです。

なぜ現在がずっと継続するとは思えないのでしょうか?それはこの世界のありとあらゆるものが変化をするということが経験上分かっているからだと思います。

変化というものが全くない世界であったら、時間という概念を作ることは不可能になるでしょうし、その結果は過去も未来も現在という概念すらなくなってしまいますね。