条件付の愛

「条件付の愛」という言葉には、それ自体に矛盾を包含しています。それは、愛は無条件であるからですね。ですから、無条件の愛という言い方も重複してしまっているわけです。

なぜこのような間違った表現をしてしまうかといえば、無条件というものが愛の特性であるということをどこかで忘れてしまって、愛という言葉を乱用するからに他なりません。

それだけ私たちはこの「愛」という言葉の意味を自分勝手に変化させて使っているということです。それは、元々「愛」の本当の意味が実は誰にも分からないからなのではないかと思うのです。

分からないなりにも、それなりのイメージというものは誰でも持っているはずですね。例えば、我が子を愛する親の気持ちというのは、子供がどうであれば、成績が悪かろうが、悪態をつこうが、愛しいと思う気持ちは変わらないわけです。

こういうのは、確かに子供に対してあれこれ条件をつけずに愛しているわけですから、真の愛なのではないかと思えるわけです。

一方、様々な条件を満たした人が現れてくれたので、恋人になってもらったというような場合には、その相手をどんなに愛していると言っても、条件付きの愛であるわけで、つまりそれは愛ではないということになってしまいます。

また、相手が自分を愛してくれるという条件で、自分も相手を愛するという場合がありますね。このような場合も典型的な条件付の愛と呼べるものです。

条件付の愛、つまり偽りの愛で相手を愛しているという場合には、本人に真の幸せがやってくることはありません。なぜなら、条件を付けるということ事態、相手を裁くという心に通じるからです。

裁くということは、怒りや恐れがその背後にあるわけです。実は、愛がないところには、必ず怒りや恐れがあります。逆に真の愛があるところには、他に何もありません。

つづく

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