心配とは文字通り「心を配る」という意味合いで、元々は使われていたのだと思います。つまり、心配りという場合には、そこに相手や状況に対する愛を感じることができます。相手を尊重するとか、自分を差し出すというニュアンスがあるように思います。
しかし私たちが実際に心配という言葉を使う場合には、それとは大分違った意味で使われていることがほとんどだと思いますね。
心配の原動力になっているのは、不安感です。不安は恐怖の一つのバリエーションですから、結局何かを、あるいは誰かのことを心配するということは恐怖に捉われていることを意味するわけです。
大切な人のことを心配するという場合には、愛があるからこそ心配するのではないかと考えがちですが、残念ながらそうではありません。
こうなったらどうしようとか、発生する事態や相手へのネガティブな想像が心配という心の状態を引き起こすのです。
誰かのことを心配をすればするほど、その不安や恐怖のエネルギーが自分や相手を取り囲むことになってしまい、そのエネルギーに見合った現実が起きやすくなります。
ですから、あまりにも極端に心配され過ぎてしまった人は、健康を害してみたり人生が苦難続きになってしまうということにもなってしまうのです。
心配のエネルギーは相手に限らず、自分に対しても同じように悪影響がでることがあります。そして、心配は不安や恐怖が元ですから、ターゲットのほとんどは未来です。
たとえすでに結果が出てしまって過去となっている事柄と言えども、自分がその結果を知ることになるのが未来であれば、やはりそれは心配のネタとなリうるわけです。
未来のことを心配して、自分の人生に悪影響を与え続けてしまうくらい馬鹿馬鹿しいことはありませんね。
私は心配しそうになったら、すかさず心の中でやるようにしていることがあります。それは、委ねるという方法です。
自分の心の中にとてもどっしりと落ち着いて、すべてを分かっている愛の塊のような神聖な部分を意識します。そして、その部分に未来をすべて委ねるのです。
勿論その場合、信頼するということがとても大切な要素となります。そして、委ねることが本当にうまくできたときには、それだけで心配や不安感があっという間に消えてなくなってしまいます。
その時の感覚には、今現在がとても大事なんだというものがやって来ているように感じます。いつもいつもうまくできるとは限りませんが、実践を繰り返すことで少しずつ上手にできるようになると思います。
そして、更に嬉しいことに、うまく行った場合には、もし心配の種が近未来のことだとしたら、すぐに心配する必要などなかったと思えるようないい結果がやってきてくれます。
みなさんも是非、試してみてはいかがでしょうか。