自分が自分のことをどのように見ているのかということが、そのまま投影されて周囲の人の姿として表れてきます。従って、人間関係でなんらかの悩みがあるという場合には、その問題自体が自分自身を問題視している箇所を映し出していることになるのです。
人の視線が気になったり、どう思われているのか心配で仕方ないという場合には、自分に対する自己評価がとても低いということなのです。自分のことをダメなやつだと裁いているからこそ、それを周りの人の目から隠さなければならないのです。
こういう場合には、人といて知らず知らずのうちに緊張していることが多いものです。とても気を赦している相手の場合であればいいのですが、そうでないと肩が凝ったり胃が痛くなったりしてしまうこともあります。
また必要以上に相手を気遣ってみたり、相手の意思や気持ちを優先してしまったりすることもあります。いい人になろうとして、笑顔を絶やさぬようにしてみたり、感情を表現することが下手になってしまったりもします。
人と人との和に神経を使いすぎて、自分が犠牲になってでもその場を丸く収めようとしてしまいます。そのために、言いたいこと、主張したいことがあってもそれを抑えてやり過ごすという行動になってしまいます。
子供の時の両親の仲が悪かったり、嫁姑の問題などが表面化していたりすると、子供心に大人同士仲良くしてもらいたくて、自分は無邪気な表現を抑えて、仲裁役に徹してしまうなどのことも起こるのです。
そういった自己犠牲を続けていくと、それが怒りの感情として蓄積されていき、大人になってから、何かと周囲の人に怒りを沢山覚える人生になってしまいます。
電車に乗ったときに、周りの人がみんな自分を見ているような気がして、どこを見ればいいのか分からなくなってしまったり、居心地の悪い圧迫感を感じてしまったりすることもあるかもしれません。
こうした人といる時の居心地の悪さは、周りの人からの評価をいつも気にしていることが原因なのです。周りからは100点をもらいたいのですが、自己評価が低いのですから、100点の効果はほんの一瞬しかありません。
自分が怒りを感じたり、否定したくなる周りの人たちをよく見つめ、その人たちの言動を赦していくことで、その部分に対応する自分自身を赦すことになり、その分だけ自己評価が高くなっていくのです。
その結果、周りの人の目が気にならなくなって、本当に幼い頃の無邪気な自分に戻って人間関係を楽しむことができるようになるのです。