昨日の続きです。昨日のブログでは、自分に都合のいいように知覚を変形させて、その結果感じるものを信じるようになるというお話をしました。
昨日までの話は割合分かりやすいと思いますが、今日は続きとは言っても、少し分かり辛くなるかもしれませんが、とても重要なことですので書いていきたいと思います。
このブログでよく登場する投影という事について、それを別の言葉で表現すると、私たちは見たいものを見、聞きたいものを聞くということになります。
自分が望むものを心に描き、それを使って知覚を捻じ曲げるという昨日の話とは全く違います。自分が望むものを心の中に描き、それを使って知覚そのものを作り出すということを言っているのです。
常識的には、この逆のことを真実だと思い込んでいます。つまり、まずそこに机という物体があって、それを肉眼で見ることによって、そこに机があると認識するとしているのです。
自分はそこに机など見たいと思っていなくても、そこにそれがあるから見ることになるのだと思っています。 五感すべてに対してこのように信じています。ですが、これこそが私たちがずっとエゴに騙されてきたことなのです。
原因と結果が全く逆であるということです。つまり、自分の外側にそれが存在するというのが原因であり、だから、自分はそれを見たり触ったりするというのが結果だと思い込んでいるのです。そうして、それを固く信じています。
でも本当はまったく逆だということですね。自分の内に望むものを描くのが原因であり、その結果それを知覚するようになるということなのです。ここでとても重要なことに気づきます。
つまり、知覚することが結果であるということは、そこに何かが在るということには意味がないということになります。私たちにとって、自分が起こしている知覚がすべてなのです。
知覚とは、自分が心の中で望むことをそのまま信じるようにさせるための錯覚なのだということです。そして、一度信じてしまうと本人にとってはそれが真実となっていくのです。信じる力とは本当に凄まじいものです。
しかし、実際には何を信じようが、信じまいが、それと真実とは無関係です。幸せになるとは、たった一つの真実を信じるようになることしかないのではないかと、奇跡のコースでは言っています。
このことはすぐにはピンと来ないかもしれませんね。これを書いてる私も、このことを分かっている自分は自分の心全体の数パーセントに過ぎないのかもしれないと思っています。
ですが、日頃信じて疑わないことを、まっさらな気持ちになってもう一度見直してみることはとても大切なことなのです。私たちは本当に何が真実で何が間違いなのか分かっていないからです。
自分の肉体が作る五感による知覚を一度、信じるのをやめてみる必要があります。そうしていくことで、自分の人生をできるだけ幸せなものに変えていける道が開けていくのですから。