愛について その3

昨日の続きですが、実は自分の心の中にあるその真の愛の部分を、どんな名前で呼んでも構わないですが、私は「奇跡のコース」に従って、聖霊と呼ぶことにしています。

「奇跡のコース」では自分はスピリチュアルな存在だということが大前提にあるため、本当の自分の愛の部分を聖霊(Holy Spirit)と呼んでいます。でも呼び方など、どうでもいいのです。

自分の中の愛の部分と思えばいいわけですから。この部分を活性化して生きるとはどういうことかを説明します。

私たちの一日は朝目覚めるところから始まります。その時に、まだ頭がぼーっとしている時はともかく、さあ起きなきゃ!と思った瞬間からエゴのシステムが稼動を開始し、無自覚に私たちの意識はエゴに占領されてしまいます。

そして通常そのまま夜寝るまでエゴのバックアップを受け続けて一日を生活しているのです。ですから、残念ながらそこには愛がありません。エゴの見せ掛けの愛はありますが、聖霊の愛とは全く違います。

そういう毎日の生活の中で、私たちは無数の選択をし続けています。今日は会社に行くのかどうか、あの人にどうやって自分の気持ちを伝えればいいのか、飲み会に出席するべきかどうかなど、実に沢山の選択をして、それに従って行動しています。

その選択をするのは、それを誰かに任せない限りはこの自分なわけです。でもその選択、決断を裏でバックアップしているのは、エゴのシステムということになります。つまり、エゴの選択、エゴの決断を利用して毎日生活しているわけですね。

エゴのベースは自分を防衛することです。そのために愛の代わりに怖れ、怒り、苦悩などが活躍の前提となっているため、心の平安である永続的な幸せを手に入れることは難しくなります。

愛の部分を活性化させるとは、エゴの代わりに愛の部分を使って日々の選択、決断をするということです。

具体的には、朝起きたときに、自分一人で今日一日の選択、決断をしないということを決意するのです。これをしないと、勝手にエゴが活躍してエゴの選択で生きることになってしまうからです。

とにかく、自分一人では選択しない。その代わり、自分の心の愛の部分である聖霊に選択をしてもらうということを決意するのです。聖霊に選択してもらうためには、自分は全く選択していないというまっさらな状態にまずなる必要があります。

その上で、心の中でどちらを選択すればいいのかと聖霊に伺ってみるということです。勿論聖霊の言葉が聞こえるわけではありませんが、毎日続けているうちに、何となく聖霊の選択をニュアンスとして感じ取ることができるようになってきます。

自分がエゴに乗っ取られてしまっているときには、エゴの大きな雑音に邪魔されて、聖霊の清らかな答えを感じにくくなってしまうこともあります。こればっかりは、練習あるのみだと思います。

特に、この選択はとても自分にとって重要だと思う場合には、時間がかかってもいいですから、聖霊からの返事を受け取るようにすることがとても大切です。そして、受け取った聖霊の選択を解釈することなく、実行することです。

解釈しようとすると、エゴがしゃしゃり出てきますので、必ず聖霊の答えに対して不満を訴えることになるはずです。自分の真の愛である聖霊を信頼して、完全に任せるという気持ちになることがとても重要ですね。

このようにして、少しずつ聖霊に従って生きていくことができるようになっていくと、今までと全く違う自分に生まれ変わることができ、愛による心の平安を手に入れることになるのです。