放蕩(ほうとう)息子

以前、「自分を映す魔法の鏡」というコラムを書いたことがありました。この内容は簡単に言ってしまえば、ブログでも書いた投影について少し回りくどい表現を使って説明したものでした。そのコラムの中で、聖書に出てくる「放蕩(ほうとう)息子」という物語を引用したのですが、今日はそのことについて更にその先の話をしようと思います。

そのコラムを読んで下さった聖書に詳しいクライアントさんに、その話の中身が若干違うよと言って笑われたことがあるのですが、それはともかくとして、大切なのはそのエピソードから何を学ぶかということですね。

その物語は父と兄と弟の3人家族のお話なのですが、兄は父親の仕事をよく手伝って悪い遊びもせずに、一生懸命親孝行する評判の息子なのですが、一方弟の方はあまり親の手伝いをするでもなく、ある日とうとう勝手に家を飛び出して出て行ってしまいました。

何年かの月日が流れた後、ある日弟が家に帰ってきたときに、父親は自分の息子が無事帰ってきてくれたことを喜んで、弟を迎え入れようとしたのですが、兄は身勝手に家を飛び出していった弟に腹を立てていて、家に入れようとさえしませんでした。

それを知ったイエス様が兄に向かって、「お父さんのように弟さんを赦してあげなさい」と言って聞かせたという教えなのです。

兄にとっての弟の存在というのは、兄の心の中に抑圧されている「本当は父の手伝いばかりやるのではなくて、自由に遊びたいんだ」という気持ちの投影だったわけです。
その本心を抑えていい息子を演じているために、自由奔放な弟を赦すことができなかったわけです。

私のセッションにその兄がクライアントさんとしていらしたとしたら、上で書いたような本心があることに気づいてもらうように仕向けるでしょうね。赦せなかったという反応を否定することはしません。人の反応には全部理由があるからです。

我慢している本音があることが分かったら、その抑圧を解いてあげて、父親にとってのいい息子という立場をなるべく手放して、自分を楽しませてあげることを覚えることですと伝えるでしょうね。

多分、その時のセッションはそういった内容にいくつか肉付けをして終わると思います。そして、セッションによってその兄はかなり気持ちが楽にはなるはずです。自分はそんなにいい息子でばかりいなくたっていいんだということが分かるからです。そして、好きな事を父に気兼ねせずにできるようになることで、毎日が楽しい方向へと向かうでしょう。

しかし、セッションで学んだことを活用して、やりたい事を楽しむことができるようになったとしても、兄の人生がそれで本当に幸せになるかというとそうでもありません。心の中に抑圧していることは他にも沢山あるはずだからです。

勿論時間と労力をかけて丹念に少しずつ、沢山ある抑圧を見つけては解放していく作業を続けていって徐々に幸せに近づいていくことは可能です。ただ、この方法はエンドレスになる可能性があります。心の中にある闇の部分は感情も含めてきりがないからです。

イエス様が「弟を赦してあげなさい」と言ったのは、このことを知ってのことなのかどうか、分かりませんが、心の抑圧に目を向けるだけではなく、この赦していくということに着目することで癒しのスピードアップが期待できるとしたらやらない手はないですよね。

つづく