無防備になる

昨年あたりから、自分の一つのテーマとして、この無防備になるというのがあります。平たく言えば、自分を守らない、自分をなるべく守ろうとしない、ということです。これはまさしく、幸せになるための絶対条件と言ってもいいものです。

人は自立して、一国一城の主として、日々頑張っているわけですが、無防備になるということは、このお城を守ることをやめよう!ということなのです。せっかく建てた立派なお城を誰かに明け渡してしまおうということです。

そう言われても、なかなか納得できないことだと感じるのは当然かもしれません。なぜ、無防備がそれほど大切なことなのか、少しじっくり説明して行こうと思います。

セッションの時に、よく出てくる話として、いい人でいることを止めて下さい、というのがあります。それは、いい人を演じているので、その演技を止めて下さいという意味なのです。簡単に言ってしまえば、いい人の仮面をかぶっているのを脱ぎ捨てて下さいということです。

いい人としての仮面、あるいは鎧は他人からの評価をなるべく良くするための作戦ですね。つまり、悪い評価をされないための防衛策であるわけです。そういう意味で、いい人を止めるということは、防衛しない、つまり無防備になるということを意味します。

心の中で本音はこうなんだけど、防衛のためにいい人でいようとすると、本音とは違う言動をしなければならなくなったりするわけです。これが、その人の心を蝕んでいくのです。繰り返せばそれだけ、自己犠牲を蓄積していってしまうことになります。

具体的には、いつも必要以上にニコニコしていたり、「ノー」と断ることがなかなかできなくて、結局イエスマンになってしまうといったことですね。このいい人でいることによって防衛しようとする作戦は、実に様々な弊害をもたらすことになります。

すぐに想像がつくのは、人間関係が億劫になってしまうでしょうね。本音で語り合えないわけですから。寂しいから人といたいんだけど、ずっと一緒だとすごく疲れてしまうなどはこれが理由かもしれません。

大好きな彼とデートは楽しいのだけれど、どういうわけか、帰宅するとぐったりしてしまうということを経験している人は意外と多いものです。特に、付き合いだした頃というのは、自分のいい部分ばかりを見せようと防衛してしまうため、疲れてしまうのです。

セラピーのとき、人を優先するのではなくて、自分の気持ちをしっかり見つめて、それを無視せずに自己表現して下さい、と多くのクライアントさんに訴えてきました。時として、それって、単なる自己中心なワガママな奴になってしまうような気がするんですけど、といわれます。

しかし、自己中な生き方なのではなくて、自分の本音を隠さないで率直に表現することでできるだけ、無防備になって下さいという意味だったのです。自己中心とは、自分の考えを無理に押し付けて相手を否定することであって、それは無防備になることではなく、その逆の防衛することになるのです。

つづく

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