投影の続き

なぜ投影するのかということについては分かったけれど、それをいつでも認められるかというとそうはいかないものです。それどころか、元々認めたくない自分の部分を外側に見せているのですから、それが自分だとは断じて思いたくないというのが本音でしょう。

自分の周りには実に様々な人たちが沢山います。苦手な人、嫌いな人、うまが合わない人、生理的に受け付けない人、憎たらしい人、面倒な人、理不尽な人、怖い人、こういう人が自分のそばにいたら、大抵の人は遠ざかろうとします。

しかし現実の世界では、いやだからといって簡単に離れられない事情の人達もいますね。毎日顔を合わす学生の時の同じクラスや同じ部活の友人、あるいは同じ職場の同僚、先輩、上司、勿論家族にしてもそうですね。そういう場合は毎日が我慢やイライラの連続になってしまうかもしれません。

そして、その人さえ自分の周りから消えてくれたら、その人がもっとこうなってくれたなら、自分は随分と楽になれるのにと思うものです。そのような人たちのことを思うとき、それも全部自分の投影なんだと思えるかどうかです。

通常は投影だとは思えないし、思いたくもないはずです。だから、いがみ合うことにもなるでしょうし、相手を憎んで、自分のそばに居られないようにしてやりたいと思ってしまうかもしれません。それが出来ない人はただただ我慢の日々を過ごすだけかもしれません。

怒りの感情に任せて、相手を攻撃してしまいがちなのが我々人間の常ですが、ここでこの人は自分のなんらかの投影の結果なんだということを思い出して見ることです。最初は思い出すだけでもかまいません。

そこから人生の進む方向が大きく違ってくるのですから。相手を攻撃したくなったり、実際に怒りを向けてしまったり、相手の言動を許せないなど、そういう自分を責める必要は全くありません。

逆にそういう素直な自分の反応をまずしっかりと受け止めてあげることが大切なんです。出来る限り自己嫌悪を使わないように注意しながら。その上で、あの人のあんないやな面が自分の内面のどこかに潜んでいるのかとなと思ってみるのです。

そこから癒しが開始されるのです。投影にもいくつかのパターンがあり、それによりどう対処していくことが癒しにつながるかが決まってきます。この続きはまた書いていきます。