セラピストになってしばらく経ったときに、「人生は自作自演」というコラムを書いたことがありました。今読み返してみても、真面目に訴えている自分の姿が浮かんできますね。あの頃はまだ、自分の身に起こることは自分が起こしている、そういう考え方を採用してみましょうという表現をしていました。
つまり、何が本当で何が本当でないかなどということは、追求していったところで結局何も証明などできるはずもないので、ただ幸せになるためだけに、その考え方を使って生きてみましょうと提案していたのです。
これはある意味とてもスマートなやり方だなと今でも思います。理屈で幸せになれるわけではないので、幸せになるためのツールの一つとして使ってみて下さいよって言ってたわけです。そしてそれは基本的には今も変わっていません。
変わらないどころか、益々強くなってきています。それは、自作自演、つまり自分の身に起きることは自分が起こしている、というメカニズムについて以前よりも詳細に分かるようになったという変化が自分の中に起きているのが大きいかもしれません。 なのでこの自作自演というものがより一層自分の中に深く入り込んできたという実感があります。
それでも、昨日ブログで書いたような、スーパーな理不尽さとか、困った事態とかが身に降りかかってきたときには、この自作自演の法則を忘れてしまいそうになってしまいますね。でも例外はないとして、しばらくして復帰することができるのですが、リアルタイムで意識し続けるのはなかなか困難を伴います。
なおかつ、そのことが一過性のものではなくて、継続的に起きていることであると更に自分の思いがそれを発生させているとは、思いたくもなくなってしまうのは人情でしょうね。どうして自分がこんなことを…?と思って当然です。
それでもめげずに、また淡々とこの法則のことを思い出すのです。これを解決するのは、やはり自分の中にある愛をどれだけ与えられるのかということにかかっているのでしょうね。それができるようになってくれば、理不尽さも困った事態も何もなくなっていくはずです。