理不尽なことを見たり、聞いたり、経験したりしたことのない人はいないでしょうね。それどころじゃない、毎日必ず理不尽な目に遭ってるっていう人もいらっしゃるかもしれません。
実は最近自分の身にも理不尽なことが起きていまして、でも思うところがあってそれをむげに跳ね除けずにいるのです。こういう経験は記憶してる限り初めてで、今までの自分だったらほとんど考えもせずにその理不尽さを却下していましたね。ばっさり切るというか、容赦しなかったと思います。
その理不尽さは千人の人に聞いたら千人がそりゃ理不尽だと間違いなく言うくらいのスーパーなものです。こんなことがあってさあ、これって理不尽だと思わない?などと人に確認しなければならないようなものじゃないということですね。
理不尽さを前にしたときに、どういう反応をするかというのは人によってそれぞれ違いがあると思いますが、大きく分けて三つのグループになるのではないかと思います。
一つ目は、殊更反応しないで黙ってやり過ごす、あるいは相手の言うことをきくという人達。このグループの人の特徴は、その場を丸く収めたい、相手に不愉快な思いをさせたくないなどが強いのです。従って、知らず知らずのうちに自己犠牲を溜めていく可能性が大です。
二つ目は、一つ目のグループと反応に関してはほとんど変わらない人達なのですが、そこには自己犠牲がない、つまりその理不尽さを愛のパワーで溶かしてしまうことのできる人達です。これは理想ですね。
そして三つ目は、私が属するグループですが、はっきりとした拒絶ができる人達です。この人達は、ある意味自立できている人と言えるかもしれませんね。自分の意見がはっきり言えるのですから。
一つ目のグループの人達は、そうすると依存している人達だと言えるでしょうね。そして、二つ目のグループの人達は、癒しが進んでいる人達ということになりますね。一つ目と二つ目は表面的にはニコニコしていてそっくりなことが多いのですが、心の中は随分と違います。
一つ目のグループも三つ目のグループも出来る限り二つ目のグループへと向かえれば人生がとてもすばらしくなるはずです。分かりやすく言ってしまえば、この二つ目のグループの人達は愛に溢れているので、理不尽さを感じなくて済むのです。
理不尽さというのは、理屈に合わないことで自分が不利益となるような事態から、自分を守ろうとする心の状態が感じるものなのです。だから、愛で生きれる人たちは理不尽さを感じないでいられるのです。これって、すごいことですね。
というわけで、ノーを言うのはたやすいことなのですが、敢えてその理不尽さを愛で溶かして克服したくて、今まさにその中に突入しているというわけです。でも、長い間の癖でつい理不尽さを不合理だと糾弾したくなってしまう自分がいるので、油断できないです。
そしてなるべく早くに二つ目のグループの仲間入りを果たしたいなと思っています。だから、今自分にとって、この理不尽さというのは旬のものだし、成長するためにはぜひとも必要なものだと思っています。